父の命日

家族
02 /12 2017
今日は父の命日。
朝起きた時に 寝床の中で さて父になにをしてやろうかな?と思った。
仏壇もない我が家。
唯一、先日 ココ君がチョコレートを探しているという写真を載せましたが
壁に取り付けた一枚の板が仏壇のような役目をしている。
今まで死んでいった猫の仏壇のようなものなのだけれど
そこが何か祈りの場所になっている。
でも写真で見てもわかるけれど ごっちゃごっちゃ。
そこをすっきりきれいにしましょう。

そして 東慶寺の 香りのいい(なんだっけ?)をお線香代わりに。
実家の仏壇にも届けたお菓子をお供えに。

東慶寺で初めて小さなお地蔵さんみたいなのを見た時に
父の面影があると思いましたが
最近見てもそう思わなくなりましたが
今日、東慶寺に行って写真を撮ってきて後載せします。

父は戦争に長いこと行っていたそうです。
30くらいで帰ってきて結婚した。
なので 母とは6つ、7つ違う。
義理の父母 舅姑も、同じ年で6つ、7つ違った。
なんだか二組で 6つ違いは睦まじく 7つ違いは仲良しだとか言っていたのを覚えている。

あろうことか
私も 夫とは7学年違いです。3月と5月生まれだから6歳違いという期間が長いけれど。

父はパラオに行っていたそうです。
晩年パラオに行きたいとよく言っていた。
行けばよかったのに 今だったら私だって連れて行ってやったのに。

何時だったか 1年前くらい?にテレビでパラオの玉砕の頃の番組をやっていた。
名前は覚えていませんが隊長さんが 素晴らしい人格者だった。
もう、アメリカが来て持ちこたえられないだろう戦局で 隊長は島の人たちを道連れにすることはないと
お前たちは出ていけとあえて冷たく命令した。

島の人たちは 逃げる前に日本兵の隠れられる穴をたくさん掘ってくれた。それでアメリカが上陸したらすぐに
降参するだろうと思われていたのに1か月だか3か月だか持ちこたえたそうです。

父がぽつぽつと話すパラオの話で
島民の小屋に上から落っこちて屋根を踏み抜いて小屋のなかに入ってしまったときに
島民は殺されるかと怖がるけれど
父は 隊長も島の人とは仲良くしなさいと言っていたし父もやさしい人だから仲良くなったそうです。

その「島の人とは仲よくしなさい」と言った隊長はテレビで取り上げられていた隊長さんだろうか?

パラオは最後まで生きていたのは30人ぐらいだったそうです。
父は生きて帰ってきたのだから終戦の前にパラオを離れたのでしょうと思いますが
細かいことを聞くこともなく逝ってしまいました。

思いがけずブログ記事に戦争と 父のことが書けてよかったです。
私の子供 父の孫たちは おじいちゃんはそういう人だったのかとちょっと今日は思いを馳せてほしい。

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コメント

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No title

お父様が戦争にいっておられたんですか。ご苦労なさったことでしょう。
父の歳の離れた兄が戦死した関係で 姪ということで遺族会の世話をしてます。
池部良さんの本で 物資補給もなしに南の島で 苦労したことが書いてありました。戦争とはむごいもんだなぁ と思います。

本当に戦争はひどい

ねこ好きさま♪

本当に人類は戦争を100年間しないでは生きていないのではないかしら。
なんだか昨今の情勢を見ると不安です。

遺族会のお世話を それはえらいですね。

遺族の方たちも高齢になっているでしょう。

つつじ

楽に呼吸できる場所 11年目に入りました。

年の功と許される年齢になったから 時々辛口も織り交ぜて
これからも
楽しかった きれいだった おいしかった うれしかった 等々
日々のよかった話を取り上げていきたいと思います。

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