花見山は満開

旅行
04 /14 2014
花見山は 満開。
滝桜はまだつぼみがほころんだ程度。

花見山は見ごろでした。

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45年前に伯父が詠んで書いたという立札ありました。
花見山の入り口ということだったので探したら
山の持ち主の阿部家のちょうど真ん前のツツジの茂みに中に倒れていました。

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これはブリキの板に白ペンキを塗って支柱になる鉄の棒をつけている。
これは、伯父が書いたその時のままと思うのだけれど
よく持ちましたね。
25歳の時に同行した従弟は 半紙に書いたと言っていたけれど記憶ちがいか
後になって筆跡もそのままにこういう金属製のものに作り替えたということはあるだろうか?
当時のままと思うのだけれども。

他にもところどころにこういうのがありました。

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これは伯父の作ではありませんが
達筆なお上手な作品です。

今はないようですが昔は東屋の様な所に来た人が一首詠んで書けるようなこういう立板と筆の用意がされていたそうです。
しかし、伯父の字も上手です。
今は、そのあずまやがあったところ(花見山の入り口)は 観光案内所になっている。

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話せば長いことながらと先日、花見山に行くと書いたブログ記事の中に書いたのは
母が亡くなって荷物を整理していたときに
お財布にこの伯父の書いた短歌の立板の写真だけが入っていたから・・。
これはお返ししなくていいのですか?と従弟に聞いたことで
花見山のことがわかったのです。

それから 母方の従妹たちとおつきあいが始まった。
母が、いとこなんだから付き合いなさいよと言っているようです。

8人兄弟の下から2番目だった母。
その母の3人の子供の末っ子の私は
もう、他のいとこたちに比べたら幼なかったから味噌っかすで
あまり従弟たちと遊んだという記憶はない。

しかし、私は どちらかというと母方のDNAが濃いような気がする。
顔だちも似ている。

このおじの短歌の立板のことは 黄色いユニフォームで庭で案内に立っていた女の人に
阿部家の人と話す機会があったら 
45年前に来て、短歌を書いた 2代目の方と親しくしていた伯父の 姪が来たと伝えてくださいと言ってきた。
花見山の入り口のツツジの茂みの中で立板は見つかったと言ってきました。
ちゃんと立て直してくれるといいのですが倒れてしまっていました。


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